Battle Battle Abbey (2000年2月6日撮影) 「バトルだ〜・・・・・・」時々、子供がゲームをやりながら叫んでいます。 Battleは、まさに読んで事のごとく、1066年10月14日にノルマン王ウィリアムスが、アングロサクソン王ハロルドを打ち破った、ヘイスティングスの戦いの戦場です。 |
Battle Field & Abbey (2000年2月6日撮影) Battleは、East Sussex州 Hastings(ヘイスティングス)の北西10kmくらいの所にあります。 街の中にBattle Abbeyという修道院跡があり、その裏側に上の写真のような緩やかな丘陵地があります。 まさに、この場所が、1066年の合戦の地です。 Battle Abbeyと、この戦場の跡は、現在English Helitageが管理しており、日本語の案内もある携帯案内機を持って戦場の歴史を知ることができます。 携帯の案内機は、ノルマン側ウィリアム王の兵、アングロサクソン側ハロルド王の兵。そしてハロルドの妻の3人の立場からの解説がされていて、とても趣向を凝らしたものでした。 農耕文化が主体である、アングロサクソンの兵と、幼い頃から戦闘員として訓練されてきたノルマンの兵との間には、おそらく戦術、武器両面で相当な開きがあったと思われます。 ノルマン側は、ひざまで延びた鎧、弓矢、騎馬兵、刀剣を使用した戦術です。 これに比べ、アングロサクソンの兵は、丈の短い鎧、武器は斧が主体、すべてが歩兵による戦闘でした。 そして彼らにとって、農耕作業のためにとても重要な馬は、荷物の運搬だけに使用し、戦闘に使うということができませんでした。 フランスのノルマン王ウィリアムスが勝利を手にしたのは、当然であったのかもしれません。 しかし、ここはイギリスの地であり、管理もEnglish Helitageです。 さすがに戦いも必ず「ここは、アングロサクソン王ハロルドとノルマン王ウィリアムスの戦いの跡・・・・」とアングロサクソン側が先に来ます。 また、「この戦いの結果でイギリスの歴史が大きく変わることになる」という表現で、明確なイギリスの敗北という表現にはなっていませんでした。 |
Battleの兵士たち、右側最強 (2000年2月6日撮影) | このBattle Abbeyは、征服王ウィリアムスがアングロサクソン側を征服した際に、ざんげの気持ちで築いた修道院跡です。 この修道院は、戦いの4年後くらいに建てられたもので、現在、この修道院跡は廃虚となって残っていました。 900年の長い歴史が風化したものなのか、アングロサクソンの魂が風化させたのか・・・・ 左の写真に写っている、ノルマン側の兵隊の格好をした人はEnglish Helitageのパンフレットにも登場している人で、恐そうな格好をしているものの、とても優しい感じのかたでした。 でもこの鎖の鎧だけで19kgもあるそうです。 「バトルだ〜・・・・・・!」、荒涼とした大地の何処からか、つわものどもの声が聞こえてくるような気がします。 |
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