Bath

Bath, Pulteney Bridge (2000年2月13日撮影)

Bathは、ロンドンの西、約180kmにあります。 M4号線を降りてから、平坦なイギリスには少ない、つづら折れの道を進みます。 峠というほどでもありませんが、右側には谷間が広がっています。 Bathの街自体も、他のイギリスの街とは少し違う雰囲気を持っています。 何処が違うのか、おそらくそのとても古い街並みと、坂道、遠くの丘の風景がそうさせているのでしょうか。

上の写真は、Pulteney Bridgeといい、建築家ロバートアダムにより、1774年に完成しました。 橋の上には、もちろん車の通れる道がありますが、その橋の両側には、店の建物があるため、外側から見ても橋であるというより、水門のように見えます。

街の中には、写真のように、Avon川が流れています。 Avon川という川は、イギリスの中にいくつもあるようです。 その理由は、ローマ人の土木建築技術の高さに関係しているものでした。 これは、後で説明します。

Bath, Roman Baths Museum (2000年2月13日撮影)

Bathは、とても古い歴史をたどってきた街です。 伝説では、紀元前863年にケルト族のプラドゥード王子が、ハンセン病にかかり、王国を追われてしまいます。 その後、この近辺でブタを追っていた所、ブタの好物のどんぐりが浮いている沼にブタが入ってなかなか上がってこない。 自分も仕方なく沼に入ってブタを追い出すと、その沼がとても暖かい、それどころか、ブタの切り傷や自分の病気までも治ったということです。

これは伝説上の話ですが、そのあと、ケルト族に代わりローマ人がこの一帯を支配します。 西暦65年頃に、ローマ人が浴場と神殿を中心に、アクアスリスという街をこの場所に築き上げました。 ローマ人はとても清潔好きで、この北の寒い土地では、とても温泉がありがたかったのでしょう。 イギリスには、ローマ人の残した浴場の遺跡が数多く残っています。

しかし、そのローマ人も5世紀ころには勢力を衰退し、いつしかアクアスリスの街も浴場も廃虚となったようです。 今残っているものは、16世紀に風化して廃れたローマ人のこの遺跡を復元したものです。 ローマ時代の彫刻や祭壇が遺跡として残っていたものは、そのまま復元されて使われました。 その後は、温泉浴がイギリスで大ブームとなり、Bathの街は社交場として一躍有名になったようです。

このローマ浴場博物館には、現在でも46.5度の温泉が湧き出ています。 この温泉水は、何と1万年前に降った雨水が地下に溜まったもので、1日に120万リットルも湧き出ているそうです。

Bath, Pump Room (2000年2月13日撮影)

このローマ人の造った偉大な浴場は、まさに土木建築の粋を集めたものでしょう。 その給排水設備、下水道の設備は、現在でもそのまま使われているしっかりとしたものです。

イギリスにAvon川という名前の川が多くある理由は、次のようなものです。

ローマ人がイギリスに入ってきた時、ケルト人は川に名前をつけることを文化として持っていませんでした。 しかし、これだけの土木技術を持ったローマ人は、川に名前をつけて管理することを当然のように行っていました。 もともとAvonというのはケルト語で「川」という意味です。 ローマ人が川の名前をケルト人に聞くと、当然「Avon」という答えが返ってきて、現在のようにAvon川が多くなったのだそうです。

左の写真は、Pump Roomというローマ浴場博物館から直接入ることのできる所にある温泉水の試飲の設備です。 45P (80円くらい)で試飲ができます。 なるほど温泉のかすかな匂いがします、味は・・・・・・・1杯だけにしておいて良かった・・・・・

Bath, Royal Crescent (2000年2月13日撮影)

Bathの街で温泉の次に有名なものは、上の写真にある、とても美しいロイヤルクレッセントという建物です。

この建物から、すぐ東にサーカスという円形型の建物があります。 このサーカスは建築家のJohn Woodが設計した建物ですが、このサーカスの完成を見ずに、1754年、John Woodは他界してしまいます。 この後、13年の月日を費やし、息子のJohn Wood Jr.がサーカスを完成させ、その後さらに、このすぐ西に、このロイヤルクレッセントを完成させました。 建物と曲線はとても美しいものです。

Bath, Queen Square (2000年2月13日撮影)

上の写真はQueen Squareにある、Palladian調の建物です。

柔らかい色調のバースストーンという石でできたローマ様式の建物です。 場所が近いためでしょうが、コッツウォルズ地方に多く見られる多孔質の石と同じです。

このQueen SquareもJohn Woodの設計によるものです。

実は、この計画が持ち上がった時は、この建物の正面はJohn Woodが設計し、建物の裏の部分は、その家の持ち主が、各自バラバラに設計させたようです。 このため、正面から見るとこんなに立派な建物なのですが、裏から見ると、つぎはぎだらけで家の大きさも異なり、とても正面から見たものとは別の建物のようです。

この建物ができた当時、この建物を指して、市民から「表から見るとアン王女、裏から見るとアンおばさん」と呼ばれたということです。

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